日本人の平均寿命はますます伸びて、サイボーグ化も実現しそう。
その一方で若者はますます未来へ絶望していく……。
朝日新聞では新年から「未来のデザイン」を連載しているけれど、1月6日朝刊の「4 いのち」がおもしろかった。
「人生100年時代」が話題になってからもう2~3年が経つ。
自分の身近でも、100歳以上の人がちらほらいる。
同じ1月6日朝日新聞朝刊に、歌人・穂村弘さんがエッセイを書いているのだが、「人生120年」がコマーシャルに使われるようになったと感慨深げだった。
「人生100年時代」が話題なった時に、100年なんて気が遠くなりそうだと思った記憶があるけれど、今度は120年がリアルに迫ってきそう。
実際、120年生きるつもりでいたら、100年あたりで死んでしまったというあたりが現実的な未来なのかもしれない。
その一方で、若者たちは未来に絶望しているし、長生きしたいとは思っていない。
特に日本人の若者は――。
これは先日読んだ「無理ゲー社会」でも強く感じたことだし、漫画でも絶望感に満ちたセリフを読んだばかり。
確か、「負け組のまま、この先50年も生きていくなんて耐えられない」て感じのセリフだった。
若者に対してお年寄りはどう考えているのかは、朝日新聞では取り上げられていなかったけれど、せいぜい「ピンピンコロリで死にたい」ぐらいだろうか。
長生きについて肯定的な発言をしたお年寄りをほとんど見たことがない。
要するに誰も彼もが長寿や長生きについては否定的なわけだ。
それで、自分はどうかと言うと、長生きについてそれほど悲観的ではない。
よく考えたらマイノリティだった。
これってもしかしたら、意外な「強み」なのかもしれないと最近思うようになってきた。
世の中のほとんどの日本人が絶望している中で、少なくとも自分は平静でいられるわけだから――。
こんなふうに思えるようになったのも、渡部昇一さんの本によるところが大きい。
この本はざっくり言うと、長生きすれば、95歳ぐらいまで生きることが出来たならば、生への執着がなくなり、死ぬことが怖くなくなって、精神的にも肉体的にも苦しまずに、植物が枯れるようにすっとあの世に行ける、てことが書かれている。
高齢になった渡部さんが、超高齢の人たちにインタビューしてまわったことで気づいたものだ。
この本は特に話題になったわけでもないようだけど、自分にとっては大きな驚きとなった本だった。
死ぬことの恐怖について、これほど具体的かつシンプルな結論を出した人はいなかったからだ。
もちろん反論もあるだろう。
人生はそんな単純なものではない。
人生には限りがあるから生が充実するのだ。
死に対して正面から向き合うことで生きることが豊かになる。
などなど。
けれども、どれも綺麗事に聞こえて仕方がない。
むしろ渡部さんの言葉の方が自分には響く。
私は今年七七歳です。(略)今後は九五歳くらいまで生き、それまでの約二〇年間は、現在と同じような楽しい生活、活動を続け、さしたる精神修養もせずに静かに死にたいと思っています。
残念ながら渡辺さんは95歳になる前にお亡くなりになってしまったけれど、ひとつ自分は渡部さんの意志を継いで長生きしてみようかと思っている。
しかも、本を読んだり漫画を読んだりスマホをイジったりしながら、がんばらずに、だらだらと――。
そのためには、何より健康とお金が必要となる。
特に健康――。
今は人生100年時代を前にして経済格差が話題になっているけれど、人生120年時代になったら健康・長寿格差が問題になるのではなかろうか?
ありがたいのは、健康に関して取り組むのは、それほどお金がかからないということだ。
金持ちが贅沢な生活を送るよりは、毎日、粗食で散歩する方が健康には良さそうだし。
※ 実際には、お金持ちの方が健康に対する意識は高いし、健康はともかく長寿になると財力がものを言うけれど……。
これからは健康とお金に対する意識を高めて、この無理ゲー人生・ディストピア社会を攻略してやろうと思っている。
それにしても、健康やお金に関する事って、どちらも学校では教えてくれないあたりが、格差が広がっている原因でもあるんだろうなぁ……。
【プロフィール】
サイドFIRE(セミリタイア)目指す寝そべり族。
寝そべりながら年100冊の本を読み(Kindle書籍読み上げで耳活)年2,000冊のマンガを読む。
片道一時間の自転車通勤は10年を突破。
食事は肉・卵・チーズのMEC食、調理はレンチン一択、水出しコーヒーとグリーンズフリー(ノンアルコールビール)を愛好中。。。