らくだのライフハック

猫のように丸くなって暮らしたい

─セミリタイアして本とマンガの日々─

【救急車】ご近所の手前、呼ぶのが恥ずかしかったり、呼んで良いものか悩んだり……。


先週の日曜日の朝、「良性発作性頭位めまい症」で歩けなくなり、救急車を呼ぶハメになった。


今回は、「救急車を呼ぶこと」について書いてみたい。

自分が直面してみると、けっこう微妙な話で、実際に呼ぶまでに、いろいろ葛藤があったのだ。


目の前がぐるぐる回り出し、船酔いしてるみたいに気持ち悪くなり、まともに歩けなかった。

この時点では、熱中症とは、どうも違うようだ、と感じていたけれど、確信はできなかった。

そもそも、まともに思考できるような状態でもなかったし。


時間は朝の6時ぐらいだった。

しかも日曜日だ。

自分で、日曜日にやってる病院を探して、あと2〜3時間して、診療時間になったら、病院へ駆けこむ。

そんなことは、とても、できそうになかった。

第一、何科に行けば良いのかも分からない。

(内科か耳鼻咽喉科になるようだ)


年を取った父親に手配してもらうのも無理だし、救急車を呼ぶしかないか、と見極めをつけた。

けれども、ここで、葛藤が始まった。

真っ先に思ったのは、近所にバレるのが嫌だなあってことだ。

ろくに近所づきあいもしてないくせに、こんなことを考えてしまうのは、自分でも意外だった。

しょせん、村社会に生きる日本人ってことか。


しかし、目の回り方は半端ないし、そんなことも言ってられない。

幸い、日曜の朝6時だ。

それほど目立たないだろう、と見切りをつけた。


次に迷ったのは、たいした病気でも無いのに、救急車をタクシー代わりに使うな、て意見をたまに聞くことだった。


けれども、繰り返しになるが、とにかく凄い目の回り方だった。

だんだん、熱中症よりも、脳がイカレたんじゃないか? と思い始めていた。

最近は、熱中症になって、救急車で搬送される人も多いだろうけど、朝の6時なら、それほどでもなかろう。

そう考えて、呼ぶことにした。


ここで、一つ、小細工をした。

自分で、電話をかけるのではなく、父親を起こして、救急車を呼んでもらったのだ。

なんとなく、自分でかけたら、タクシーで来い、と言われそうな気がしたのだ。


実際、母親が具合が悪くなったとき、母親本人が救急車を呼ぶことを嫌がったため、結局、タクシーで病院へ行ったところ、死ぬほど待たされた経験がある。

なまじ、がんばってタクシーで病院へ行っても、散々、待たされてはかなわない。


あれこれ、葛藤したり、小細工したりと、いろいろあったけれど、救急車は、電話をかけてから、ものの5分もかからずに到着し、すぐに病院へ直行してくれた。

病院でも、全く待たされずに、すぐに、診察が始まった。


結果的には、「良性発作性頭位めまい症」と言う病気だと判明した。

「良性」と頭につくとおり、それほど重病ではない。


それでも、救急車は呼んで良かった、と思う。

もしかしたら、「メニエール病」と言う、もっと重い病気だったかもしれないのだ。

それに、貧血気味なことや脱水症状気味だったことも指摘されている。

暑くなってから、自力で病院へ行こうとしたら、どうなっていたことか。

途中で力尽きていたかもしれない。

ああ、税金払っといて良かった……。


たいしたことでも無いのに、救急車をすぐに呼ぶのはNG だけど、必要な時に呼ぶのは致し方なし、と思う。

こっちだって、ご近所の手前、こんなことはしたくないのだ。

病気やケガの時は、見栄や世間体は無視して、自分の身体を一番に考えるべきだ、とあらためて思うのだ。


もし、自分と同じように、ご近所のことや、たいした病気でも無いかもしれないのに救急車を呼んで良いものか迷ってる人がいたら、ためらわずに、すぐ呼ぶべきだ! と言っておきたい。


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空き家一歩手前の限界ハウスで「健康で清潔な最低限度の生活」を目指し、ストレスフリーな毎日を目指して試行錯誤中のへなちょこ家事男子。