らくだのライフハック

猫のように丸くなって暮らしたい

─セミリタイアして本とマンガの日々─

【ブログ】一年やってみて。本当にやりたいことが無いことに気づいて、ようやく、やりたいことが見つかったような。


夏目漱石の『草枕』の冒頭部分は有名だ。

山路を登りながら、こう考えた。 智に働けば角が立つ。 情に掉させば流される。 意地を通せば窮屈だ。 とかくに人の世は住みにくい。

漱石センセイの時代から、もう、すでに「住みにくい」世の中だったのだ。

草枕・二百十日 (角川文庫)

草枕・二百十日 (角川文庫)

ひるがえって今ーー。

さらに世知辛い世の中、生きづらい時代になってるんじゃなかろうか。


世間の人々は、世間体を良くすることや自己PRに余念がない。

そのために余計な仕事を増やしていくし、きちんと、手作りで、ていねいに、とプレッシャーをかけてくる。

がんばれ、と無責任にあおる人がいて、がんばらなきゃ、と自分を追いつめる人がいる。


とてもじゃないけど、ついて行けない、とネットへ避難した、避難したつもりだった……。


ネット界ではネット界で、別のロジックが渦巻いていた。

「没頭しろ」

「本当にやりたいことをやれ」

「好きなことをやれ」

「オンリーワンになれ」

承認欲求にあふれた人たちは、評価経済の覇者たらんと余念がなかったのだ。


ここでも、ついて行けないものを感じてしまう。

まさに、身の置き所がない感じだ。

第三の道はないもんだろうか?


そんな中で、細々とブログを書き続けた。

そして、書くことで、嫌でも考えるハメになる。


どうやら、自分には、何かに没頭できるようなエネルギーも多動力も無いようだ。

本当にやりたいことも無いようだ。

特別、好きなことも無いようだ。

自分にしかできないことも無いようだ。

無い無い尽くしであるーー。

多動力 (NewsPicks Book)

多動力 (NewsPicks Book)

気づいた時には、ちょっと落ちこんだ。

でも、薄々わかっていたことだ、と今なら言える。


その一方で、こうも思ったーー。

別に、夢や目標や生きがいや取り柄が無くても、良いんじゃないか?

毎日を、快適に、機嫌よく暮らしていければ、もう、それで十分なのでは? と。


けれども、このような考え方は、世間でも、ネットでも、あまり支持されないようだった。

だったら、自分が声を上げればいいのでは?

それを「自分がやりたいこと」にしてはどうだろう。

自分の人生を賭けてまでやりたい、とまでは強く思えないけれど、少なくとも、暇つぶしにはなる。

「手慰(なぐさ)み」「手遊(すさ)び」になれば、それで十分なのではないか。


こんなことを思うようになった。

自分でも意外な展開だったけれど、ブログを書き続けてなければ、気づかなかったことだ。


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