やまめ乗りと老い
やまめ乗りで、身体が変わって、身体の使い方も変わっていく。
それらは、身体が勝手にやってくれて、身体が自分に教えてくれる。
自分の身体に、まだ、伸びしろがあるんだろうか、この先、身体に変化はもたらされるんだろうか、などと考えていたところ、別の考えも起こってきた。
それは、「老い」についてだ。
年を取ると身体も変わる
嫌でも、誰でも、年はとるわけで、身体は硬くなり、筋肉は衰えていく。
つまりは、身体が変わっていくわけで。
これはこれで、身体の変化に応じて、身体は教えてくれるのかもしれない。
「これぐらいにしとけよ」とか「無理すんなよ」みたいに。
今回は、身体の変化によって、おじぎが深くなったけど、年をとったら、「もうちょっと浅いおじぎにしとけよ」と言ってくれるのかもしれない。
死ぬまで人体実験
なんだか寂しいような気もするけど、これはこれで、悪くないんじゃないかな、とも思う。
少なくとも、死ぬまで、身体を動かせる限りは、退屈しないんじゃないか、と思うのである。
死ぬまで、自分の身体を使って、人体実験しているような。
しかも、この実験は、日々、日常生活の中でできるし、特に改まった時間を取らなくてもいいのだ。
何かを試せば、すぐに、どうなったかもわかる。
レスポンスが速いのだ。
年を取っても強い武術家は存在したかも
もう一つ、年を取っても、なんとかなりそうな理由がある。
以前、体幹の筋肉を使う身体の使い方は、大きな動作を必要としないんじゃないか、と書いたことがある。
昔の着物を着た日本人でもできるような、小さな動作で可動できるのではないか、と。
その考えは、今も、変わらない。
それどころか、確信は強くなる一方だ。
その理屈で言うと、年を取っても、小さな動きで、体幹の筋肉を可動できるような身体の使い方をしていれば、老後の日常生活をかなり楽に過ごせるんじゃないだろうか。
しかも、あらたまった筋トレやストレッチなどは必要ない、日常生活の中で「使いこなし」ができるのだ。
ジムワークを休めば、すぐに衰えてしまうマッスルとは、ここが違う。
死ぬまで自転車
死ぬまで自転車に乗りたい、と思う一方で、ある年齢に達したら、潔く自転車に乗らないようにした方がいいのでは、とも思う。
転倒して、そのまま、寝たきりになって、自転車にハマったことを後悔し続けるのはシャレにならない。
迷ったままで、結論は出ないままだけど、身体が教え続けてくれるなら、ずっと乗っていたい、と考えが傾いてきた。
それでも、いつかはロードバイクからは降りて、マウンテンバイク、そして、ミニベロ、三輪車と巡っていくのかな。
三輪車には三輪車なりの、やまめ乗りがあるんだろうか?
それに、もし、自転車から降りたとしても、やまめ乗り式の歩き方でウォーキングならできるかもしれない。
なんにしても、老後はそんなに悪いものでもなさそうな気がしてきた。
自転車とやまめ乗りがある限りはーー。
やまめ乗り 2年生プロフィール
やまめ乗りを始めて数年。
実際に講座を受けたのは2回だけ。
脱初心者目指して自習中!
このカテゴリーは、「自転車の教科書」と「自転車の教科書 ー身体の使い方編ー」を読んでないとわかりづらいと思います。
クロモリのロードバイクと29インチのマウンテンバイク所有。
自転車通勤(片道15㎞)継続中。
ブルベ経験有り(SR取得)。